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海に面した室町時代の「杵築城」

旅紀行

小さな城ではあるが、美しい伊予灘に面した城をご紹介します。

場所は大分県杵築(きつき)市となり高台に位置する城からは伊予灘、そして

はるか彼方には愛媛県佐多岬が望むめる場所となります。

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杵築城は、室町時代初期に木付氏によって八坂川の河口にある台山(だいやま)の上に築かれた。台山は、北は高山川、東は守江湾に囲まれた天然の要害である。連郭式の平山城で、台山を空堀により4区画に区切られていた。 当初は台山山城に主郭部が設けられたが、慶長元年(1596年)の震災と、慶長2年(1597年)の暴風雨によって天守などが損壊したため、台山北麓に居館が移され、正保2年(1645年)以降は松平氏により山上の郭群が廃止されている。

戦国時代には大友氏島津氏の戦いの舞台となり、江戸時代には杵築藩の藩庁が置かれた。城跡は、公園として整備され、山上の天守台跡に博物館と展望台を兼ねた模擬天守が建てられている。

明徳4年(1393年)に、木付頼直により築かれた。戦国時代島津氏の大軍に攻められるが、籠城の末これを退けた。しかし、後に主君の大友義統文禄の役での失態の責めを負って豊臣秀吉により幽閉されると、当主木付統直は自刃し木付氏も滅びた。

その後、前田玄以、秀吉の腹心だった宮部継潤杉原長房、続いて慶長4年(1599年)には細川忠興の所領となり、重臣の松井康之有吉立行を城代として置いた。寛永9年(1632年)、忠興の子・忠利熊本藩に移封となると、替わって小笠原忠知が入った。その後、正保2年には松平英親能見氏)が豊後高田藩より3万2千石で封じられ、その後明治維新まで居を構えた。

現在、山上は城山公園として整備され、一部石垣が残る。天守は慶長13年(1608年)に落雷で焼失して以来再建されなかったが、現在本丸の天守台跡には3層の模擬天守が建てられ資料館として利用されている。山麓居館部は、現在の杵築神社、杵築中学校一帯に位置し、神社北側に石垣が残っている。御殿跡には現在図書館と公民館が建つが、庭園の遺構が残る。また、旧城内城鼻地区に旧船形屋敷が現存し、現在は民家として利用されている。このほかに、藩校学習館の正門が、杵築小学校の裏門として現存している。

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